「豊のくにあと」コラム

信じる神が違う民族が融合した古代日本のルーツ

私が現在住んでいる豊前及びその周辺は、渡来系の民族と、土着の一族が融合していった地域と言われています。
日本古来の神と、海外からやってきた仏が融合して、神仏が同列に扱われる神仏習合は、明治維新より前はこの国の人々にとっての「ごく、当たり前のこと」でした。 

 

「国東半島では、渡来系の神と固有の神が融合し、その神々が仏の教えと習合した。繰り返しになるが、宇佐で興った神仏習合は、習俗信仰の違う人々でも一緒に暮らしていける『ライフモデル』である。

 鎮護国家(ちんごこっけ)の象徴とされる東大寺に、八幡大神が勧請されたのは、争いのない平和な社会を築こうという意図があったはずだ。

 

 大仏建立から約1300年が経とうとしている。だが、誰もがお互いを尊重し、安心して暮らせる世の中へは、その道程の途中である。

 宇佐や国東半島の寺社を巡るときは、自分や家族のご利益(りやく)だけでなく、もっと大きな願いをこめて参拝していただきたい。

 

 古代の人が夢見た“極楽浄土”が早く、実現するように…。

公益財団法人九州国立博物館振興財団Webサイトから引用

 

九州国立博物館振興財団Webサイトの中にあるページから引用しましたが、生きるために血みどろの戦いを繰り広げていた古代の日本人にとって、戦いが無い国とは、まさに当時の人たちが夢見た「極楽浄土」であり「ユートピア」であったのではないでしょうか。

戦の無い時代といえば、古代に遡ると、女王卑弥呼が治めた時代がそうだったと伝承されています。
その卑弥呼の国はどこにあったのかという論争も専門家の間で長年行われてきたものの、決着は着いていないようです。
しかしインターネットが普及した現代では、検索で様々な情報が個人でも見つけられるようになり、自分もそれを参考に歴史を辿っています。

このコラムでは、自分と同じ疑問を持ち、ヒントを探している人へのメモ代わりとして情報を残していくつもりです。

 

※個人的な見聞、学術的に証明されていない伝承等を含みますので、あらかじめご了承のうえ閲覧ください。

参考にしている文献・記事

以下準備中のコラム。

  1. オンラインイベントで見た、掛け軸に書かれていた「瀬織津姫」とは?
  2. 移住してから偶然訪れた神社。そこで見た「瀬織津姫」の札
  3. 京都の貴船神社といえば一箇所。なのに移住した地域では多数の貴船神社が
  4. 三女神社は元は二女神社だったのか
  5. 瀬織津姫が祀られている九州北部の神社
  6. 六所神社、六所権現、身濯神社の関係