「豊前の史跡を巡り、歴史を知るならまずはこの本がいいですよ」と求菩提資料館の館長さんに教えてもらうことができた。
歴史は面白くても、専門的な歴史の本といえば、自分にとっては難読過ぎて困っていたのだ。
「この本なら新聞記者さんがきちんと取材をして書かれたもので、そして分かりやすく書かれています」
歴史の専門家が認めたこの本を携えて巡っていこうと思う。
既に足を運んだ場所でさえ新鮮だ。
「日本の代表的な修験道史跡」として山全体が国史跡に指定

求菩提山は豊前市のほぼ南西に位置している。
標高782メートル、円錐形の山。

手前に流れているのは「岩岳川」。

求菩提山は、ちょんと突き出たてっぺんが木のためにモフモフしているので、遠くからでもすぐ分かる。
求菩提山の「求菩提」は「くぼて」と読む。
最初見た時は読めなかった「求菩提」。
その意味は仏教用語で「菩提を求める」すなわち「悟りを開く」という意味なのだそうだ。
悟りを開く山として、古くから田川郡の英彦山と共にに北部九州修験道の中心となり、人々の信仰を集めていたらしい。
田川郡の英彦山といえば、羽黒山、熊野大峰山とともに日本三大修験山のひとつ。
その「英彦山と共にに北部九州修験道の中心となり」ということは求菩提山ってなんだかすごい感じがしてくる。
求菩提山の歴史
526年 猛覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)が開山
720年 行善上人が求菩提山護国寺を修復。
12世紀中頃(1150年頃?平安時代末期) 宇佐郡出身の天台宗の僧・頼厳(らいげん)が荒れ果てていた護国寺の講堂を修復し、修験道の再興につとめた。
最盛期には「一山五百坊」といわれるほど、多くの修験者が求菩提山で厳しい修行に挑んだらしい。
坊とは修験者たちの「家」。山中には坊が残っている
「坊」とは僧侶が住むところ、つまり修験者たちの住む「家」ということだ。
求菩提山には、もう住んでいる人はいないが坊が2つ残っている。

岩屋坊。「『岩屋』さんのおうち」という意味らしい。
2023年4月現在、修復作業が行われている。(写真は2020年のもの)

山の中には案内解説板がある。案内板の総数は41基。

こちらは瀧蔵坊(りゅうぞうぼう)。
2022年に修復された。
山中の見どころ

旧毘沙門堂。

獅子の口。水が出ているとラッキーな気持ちになる。

旧護国寺の国玉神社中宮。

鬼が一晩で築いたという伝説が残る850段の石段。

山頂の上宮、

大日窟。

普賢窟。

多聞窟。

吉祥窟。

阿弥陀窟。

氷室跡。
求菩提山の史跡を巡った方法
瀧蔵坊は豊前市が主催している森林セラピーのコースで見学することができたし、豊前市史跡ガイドボランティアの会でも案内してくれる。
気になる方は豊前市商工観光課に問合せてみてはいかがだろう。
豊前市史跡ガイドボランティアの会に問合せたい方は求菩提資料館に電話したら、担当者の方がつないでくれる。
↑坊の跡地でハンモック体験。相当いい。
↑初めての登山で不安だったのでガイドをお願いした時の記事。
豊前市森林セラピーの問合せ先
豊前市役所 商工観光課
〒828-0051 福岡県豊前市吉木955
求菩提資料館の情報
〒828-0085 福岡県豊前市鳥井畑247