歴史エッセイ

最澄だけでなく空海も宇佐神宮を訪れていた。

宇佐神宮

最澄が宇佐神宮や国東半島の六郷満山と深い関わりがあることは以前知った。

しかし弘法大師「空海」も宇佐神宮を訪れていたことは、何度も宇佐神宮を訪れていたというのに知らなかった。

今年の夏に訪れた、国東半島・豊後高田市のお寺でそれを知った。

ミステリアスな「遍照院 椿堂」で空海が宇佐神宮に訪れていたことを知る

たびたび訪れる名湯「真玉温泉」に行った時のこと、国東半島では珍しい真言宗寺院の存在を道端の看板(たしか「万灯会(まんとうえ)椿堂」)で知り、立ち寄ってみた。

椿堂・遍照院 駐車場

真玉温泉方面から645号線沿いの駐車場に車を停めて、徒歩で山の方へ向うと

椿堂・遍照院

お寺らしい建物が見えてくる。

左と右は違うお寺ではあるが、同じく「椿」と名前に付くようだった。

左が「椿光寺」、右が「遍照院 椿堂」。

「遍照院 椿堂」は願いが叶った女性の髪の毛や、怪我や病気が治った人たちからのギプスやコルセットなどが奉納されていて、心底驚いたいミステリアスさ。

どんな様子か知りたい方はぜひ検索を。

椿堂・遍照院

「遍照院 椿堂」のホームページによると

当山は、九州三十三観音第十二番札所、豊後四国八十八ヶ所総本山第四十八番札所、椿観音「善通寺椿大堂」と、弘法大師ご修行の霊窟(椿大師発祥の岩窟)のある第四十九番札所、椿大師「椿堂」が、一つの境内の中にあり弘法大師ゆかりの名刹、西の高野山と古来より称せられ、ご霊験あらたかな椿の観音さま、椿のお大師さまと、全国各地より参詣して香煙の絶え間がない。
椿大師縁起に、「大同二年(807年)に空海(後の弘法大師)が、遣唐使として唐国に渡り、恵果大阿闍利より密教を授かり帰国、約二年間九州に滞在なされ、その間に宇佐神宮(宇佐八幡大菩薩)さまに勉学の御礼参りをされた後、故郷お四国を眺める為に宇佐神宮より当山椿堂に巡錫し、持した椿の錫杖で奥の院のご霊水を、湧き出されたことから、椿大師「椿堂」といわれ、弘法大師巡錫後一千二百年の歴史とともに、国東半島の宗教文化財、庶民信仰の殿堂として参拝者の、家内安全、病気全快、交通安全、厄除開運、諸願成就、ご先祖・水子供養等を毎日奉修、祈願供養の根本道場である、椿堂「遍照院」(椿観音、椿大師の総称)の不思議なご利益は枚挙するにいとまない。

「遍照院 椿堂」ホームページから引用
 

空海が修行した霊窟があり、西の高野山と称されてきたとある。

また807年に唐から帰国した空海が約二年間九州に滞在した時、宇佐神宮(宇佐八幡大菩薩)にお礼参りをした後、故郷である四国を眺めるために宇佐神宮から椿堂にやってきて、その時に椿の錫杖で奥の院の水を湧き出させたということだ。

宇佐神宮の公式ホームページの年表を見ると、たしかに「804年(延暦23)年 最澄・空海、渡唐安全を宇佐宮に祈る。」と記載されている。

ちょっと分からないのは「故郷お四国を眺める為に宇佐神宮より当山椿堂に巡錫」のくだり。

四国が見える山が近くにあったのだろうか。それとも別の意味?

おわりに

謎の寺院「遍照院 椿堂」で偶然知った、宇佐神宮と空海の関わり。

最澄だけでなく、空海もお参りしていたという宇佐神宮は、やはり強い力を持っていたということは確かなのでは。

宇佐神宮の場所

〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859

遍照院 椿堂の場所

〒872-1103 大分県豊後高田市黒土1400

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ぶぜんノート
豊前在住のフォトライターです。豊前市・中津市・宇佐市・豊後高田市及び周辺のおすすめグルメやお土産、スポット、役立ち情報を伝えています。温泉・日本酒・ローカルグルメ・歴史・低山登山が好き。SNSのフォローはお気軽にどうぞ。
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