4月のはじめに国東半島へ旅行した。
宿泊先から目的の文殊仙寺へ行く迂回路で、ちょうど通ることができた成仏寺に数年ぶりに立ち寄ってみた。
龍下山 成佛寺とは
先日の記事で紹介したくにさきお寺本によれば「第22番札所 龍下山 成佛寺」は毒龍を成仏させたという伝説が残るお寺。
…札所?
調べてみると、国東半島の「六郷満山」と呼ばれる31の寺院群に対し、番号づけられたもののよう。
「六郷満山の寺のうち、22番目のお寺」という意味合いと思う。
読み方は「ふだしょ」。
順番通りに行きたい方はこちらの記事に詳しく載っている。
天念寺・岩戸寺とならぶ修正鬼会の寺
成仏寺は岩戸寺と同じく国東半島の奇祭と言われる「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」が開催される寺でもある。
修正鬼会は岩戸寺と隔年で西暦の偶数年、旧暦の1月7日(サイトによっては1月5日と記載されていた。どちらが正しいのか…?)に開催される。
2022年:成仏寺 非公開で開催された。
2023年:1/28 天念寺・岩戸寺で同日開催。
国東は「鬼が仏になった里」とも言われ、鬼は悪者ではない。
鬼の姿をしたご先祖を迎え、豊作と健康を祈る祭りだ。
リアルタイムで見ることができなくても、天念寺のそばにある「鬼会の里 歴史資料館」でリアルな映像を見ることができる。
鬼会の里ではほかにもVRで絶壁の上にかかる無明橋の上に立つ疑似体験も可能なので、なかなか面白い。
蕎麦やうどんを食べることができる食堂もあるので、いずれ時間がある時にまた行きたい。
二組、四名の仁王像が門を守る

成仏寺の特徴といえば、四体の仁王像。
国東ならではの石造りの仁王像が、他の寺の2倍である四体が門を守る。


子どもたちがもっと小さい時にも成仏寺に訪れた。
仁王像を見て子供たちが「むねぼねだ!」と肋骨のことを言い間違いしていたのを思い出す。
凝った庚申塔

おそらくこれは庚申塔。
今まで色々な寺社仏閣を巡りながら、何となくこんな形なのが「庚申塔」と認識していたので調べてみた。
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑、石塔のことで、単に「庚申」と刻まれたものや「庚申搭」と刻んだもの、あるいは金剛像が刻まれたものなどさまざまなものがあります。
長野県魅力発信ブログより引用
庚申の年(最近では昭和55年)や庚申講(こうしんこう)を3年18回続けた記念に建立されることが多といわれています。
庚申講とは、庚申の日に人間の体内にいるという三尸(さんしの)の虫(むし)という虫が寝ている間に天帝(てんてい)※にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日(60日に1回まわってくる日)に夜通し眠らないで天帝や猿田彦(さるたひこ)や青面金剛(せいめんこんごう)※を祀って宴会などをする風習です。
庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまですが、「申」は干支(えと)で猿に例えられるため、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多くあります。 同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神(さるたひこのかみ)とされ、猿田彦神が彫られることもあります。また、仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもあります。
ここでも猿田彦大神。
最近、やけに気になる猿田彦大神である。
龍を封じた岩屋・奥の院に通じる石段

庚申塔の先には石段が続いている。
この先には龍を封じたと言われる岩屋、阿弥陀如来を祀るという奥の院に続いている。
奥の院については長くなるので記事を分けたい。
成仏寺から両子寺方面の眺め

奥の院を降りて、駐車場に戻ると国東半島の真ん中側にある山々がよく見える。
頂上に鉄塔があるということは両子寺だろうか。
龍下山 成佛寺の情報
〒873-0535 大分県国東市 国東町成仏1140−4
成仏寺周辺
貴重!綺麗な公衆トイレ

成仏寺の駐車場には綺麗な公衆トイレあり。
周辺エリアにはコンビニがあまり無いので覚えておくと助かるかも。
縄文時代の遺跡とアートがコラボ「成仏岩陰遺跡」と「成仏プロジェクト」
私はまだ行ったことがないのですが、Twitterでフォローしている方が紹介していました。
縄文時代の遺跡と現代アートのコラボ。気になります…!
> 国東半島芸術祭 成仏プロジェクト ≪Hundred Life Houses≫ 「おせっ隊」のおもてなしが嬉しかった(別ブログが開きます)