古来日本には多くの渡来人がやってきて、元からいた氏族たちと融合していったと聞きます。
そのうち原始八幡信仰に深い関わりを持つと言われる氏族「辛嶋氏」は、元々田川郡香春地域にいた渡来人氏族「秦氏」でした。
「宇佐郡辛嶋郷」とは宇佐にある「辛(韓)嶋」という意味であり、辛嶋氏の名前の由来です。
その辛嶋氏が香春地域からやってきて初めて建てた神社が「稲積六神社」と言われています。
辛嶋氏が宇佐で建てた神社は稲積六神社以外にも、乙咩神社(おとめ)、酒井泉神社、郡瀬神社などがあるようです。
稲積六神社の始まりは稲積山の山上


由緒書によると西暦706年にこちらの稲積山の上に鎮座したのがこの神社の始まりようです。
706年といえば奈良時代、大宝律令の発令4年後ですね。
稲積山は、山頂付近から木簡が発見されるなど、歴史的に価値の高い山であると言われています。全国で4万社あまりある八幡さまの総本宮である宇佐神宮。その神様は最初、宇佐郡辛国宇豆高島(稲積山)に天から降りた後に、大和、紀伊、吉備の国そして最後に宇佐群馬城嶺に現れ、数社を移った後に現在の宇佐神宮に落ち着いた、というのが定説となっています。
横山地区まちづくり協議会ホームページから引用
稲積山がある横山地区のまちづくり協議会ホームページの記事によれば、八幡様が最初に降り立った山(宇佐郡国宇豆高島)が稲積山であることが定説のようです。
しかし宇佐神宮のホームページでは「御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕になったといわれます。」と記載。
なぜ時代が違うのでしょう。
稲積六神社の写真

神社の近くのスペースに車を停めると橋がかかっているので渡ります。
川の名前は伊呂波川(いろはがわ)。

鳥居の奥に狛犬が見えます。



やさしい表情の狛犬は二体とも玉に乗っています。


狛犬奥の神楽殿をよく見ると、木の板に描かれた絵が飾られていました。


狛犬に向かって左側には拝殿がありました。
稲積山に向かっているので、山を拝むかたちなのでしょう。




境内には複数鳥居や社、石祠がありました。

伊呂波川沿いの石も何か意味があるのかもしれませんね。

石段にはハグロトンボ。
神様トンボとも言われている黒い羽のトンボです。
おわりに
真夏の昼でどれだけ暑いのかと思ったら、神社の敷地内は日陰もあり、思いのほか涼しさを感じました。
木陰にベンチでもあれば、しばらく滞在していたかもしれません。
以前知人が「場所によって気が良い、悪いってあると思うんですよね」と言っていましたが、それならここは気が良い場所?と思う、居心地の良さがありました。
インスタグラムで投稿したら、「近くにある天福寺奥の院もおすすめですよ」とコメントをいただいたので、またこの辺りに寄ることもありそうです。

稲積六神社の先にも気になる形の山が見えました。
地図やキーワードで検索したら「宇佐市 高山」のようです。
稲積六神社の情報
〒879-0512 大分県宇佐市黒561