豊前市に移住して3年目の2023年春、コロナで中止が続いていた八屋祇園が開催されることになった。
「求菩提山の最大の祭礼であるお田植祭が本格的に復活したから(2022年はひっそり開催)、今年はほとんどの祭りが復活すると思いますよ」
と豊前に長く住む方々から教えてもらっていたのだが、そのとおりだった。
豊前市の八屋祇園とは

山内公二さん著「新京築風土記」によれば、「八屋祇園は宇島祇園と同じく豊前市を代表する春祭り。豊前市四郎丸の大富神社の神幸祭として、4/29から5/1まで豊前市内で神輿や傘鉾、大船、山鉾、踊車が勇壮に練り歩く」お祭りのようだ。
ちょっと難しい言葉が続くので調べてみると
神幸祭(しんこうさい)とは
コトバンクより引用
神道行事の一つで,神のいでましをまつる,の意。すなわち,本社から神が出御する際に行われる祭事である。神霊を榊の枝でできた神籬 (ひもろぎ) で囲い,それを行列の中央において,いでましの場所まで1日ないし数日をかけて送り届ける。これに対して,神霊が再び本社に戻る祭事を還幸祭という。
神幸祭とは神社の行事のひとつ。
「神のいでましをまつる」という意味であり、八屋祇園では大富神社から神様がお出ましする際に行われる神事のようだ。
祭りの起源など詳しくはまた別の記事でお伝えしたい。
初めての八屋祇園
八屋祇園が始まる前、豊前市はそこかしこで八屋祇園の文字が書かれた白い旗がたなびいていた。
ここ2年目にすることがなかったその旗は、豊前の人たちの待ちに待ったであろう楽しみが伝わるようだった。
祭りをさぁ見たいと思って困ったことは、いまひとつタイムスケジュールが分からなかったこと。
「練り歩く」というからには、そこらを移動しているのは間違いなさそうだけど。
祭りの音を頼りに八屋方面へと向かってみた。
八屋小学校ぐらいを歩いていると、音がどんどん近くなってきて、宝福寺山つつじ公園のほうに進むと、祭りをしている人たちが見えてきた。

この車は踊車と言って、日本舞踊を舞う踊り子さんが乗っている車だった。
移動は100%人力だ。
掛け声をかけながらグイッと方向転換する力強さに目が奪われた。
御旅所では大船車が集まっていた

豊前市のホームページでも掲載されていた「御旅所」とはGoogleMap上では「大富神社八尋濱神幸場」だった。
敷地内のお社は神事らしく華やかであったし、色々神事も行われているようだった。
それに露店も沢山出ていて、道路を挟んで宝福寺山つつじ公園に向かう道路側でも露店が沢山立ち並んでいた。
まさにお祭りの雰囲気で、若い人たちも多かった。
みんな楽しみにしていたお祭りなのだろう。
見どころは30日の夕方、八屋住吉の御旅所周辺
今回は日中しか出られなかったが、祭りの見どころは4月30日の夕方、上述の御旅所周辺で見られるそうだ。
山内公二さん著「新京築風土記」によれば「祭りのみどころは、30日夕刻の八屋住吉の御旅所周辺。神輿に続いて、傘鉾、大船、山鉾、踊車が次々に集まる。先陣をきるのは、独特の鉾、太鼓の音にのった大船、重さ三トン、高さ七メートルの大山鉾二基は博多山笠をしのぐ大きさで、地響きをたてて到着。祭りは最高潮に達する」とある。
八屋祇園に行く方はぜひ参考にしていただきたい情報だ。
おわりに
コロナが明けて初の八屋祇園体験となった今回は、次回のための下見のようなものではあった。
しかし短時間ではあっても、祭りに参加する人たちの様子を見て、この祭りが観光客のためではなく、ここに住む人達のためのものなのだとは感じられた。
子供も大人もシニアも心から楽しんでいたようだった。
歴史文化が残り続けていることは、この土地の魅力だとあらためて思った。