豊前市久路土の岩清水神社を訪れました。

鳥居付近には石碑。
この紋は左巻きの三つ巴です。

こちらは山門。
奥に拝殿がありますが、神社に山門があるのは珍しいですね。
山門は寺院の正式な入り口を意味しています。

岩清水八幡神社由緒書
豊前上毛郡黒土邑の八幡宮は何れの代に御鎮座と云ふ事を知らず。古老の?に貞観三年(紀元一五二一年)春三月 八幡大神(應神天皇)の御神託により祭祀の事始まり、次で同六年御神託により大鷦鷯尊(仁徳天皇)、息長足姫尊(神功皇后)を併せ祀る。又、境内より清水湧出の縁により岩清水と號し奉るなりーと。明治四十三年一村一社の議により初河瀬八幡神社(鬼木)、貴船神社(廣瀬、皆毛小石原、梶屋、堀立)、箱崎八幡神社(高田)、恵比寿社(岸井)、右八社の御祭神を合祀し奉る。また祇園社に須佐之男命・櫛名田姫命、天満社に菅原道真朝臣を祀る。初代清足より相承して第三十二代矢幡對馬守藤原勝季に及び、明治の中葉傍系の縁者之を継ぐ。
右、平成三年(紀元二六五一年)記
奉納 豊前ロータリークラブ
いつからこの神社が始まったかは分からないほど古い神社のようです。
明治になって約八社合祀されたようですが、そのうち貴船神社が四つもあったのですね。

御神木と傍には狛犬。


鳥居が数カ所あるのですが、鳥居が三つ横に並んでいるのも珍しい気がします。
岩清水八幡神社のと豊前神楽の歴史
興味深い記事を見つけたのでご紹介します。
由緒書にも書かれていた矢幡家について詳しく書かれています。
豊前の神楽を語るとき、石清水八幡神社で代々宮司を務めた矢幡家を抜きにその歴史を語ることは出来ません。矢幡家にはかつて詳しい記録が存在していましたが、惜しくも紛失しました。しかし江戸時代中期、長谷川家に伝えられた資料で、当時の演目、謂儀(神楽の時言う言葉)など詳細を知ることが出来ます。それによれば、当時神楽は矢幡家、初山家、長谷川家、清原家、高橋家を中心とした社家のみで奉納されており、謂儀などは当時と多くの共通点が見られます。さて、石清水八幡神社の縁起によれば神楽の起源は貞観三年(八六一)とされていますが、これは八幡神が京都の石清水に勧請された時期で、一般に八幡神を祀る神社に多い貞観勧請説と言われるものです。その矢幡家から氏子に神楽が伝授されたのは明治の中ごろとされ、成恒神楽にも同時に伝承されたと言います。明治二三年の神楽組の組長は平井恒蔵で当時は成恒の人が多かったと言います。その後城戸啓次郎、大石英蔵といった人たちにより、黒土神楽は全盛期を迎えます。戦時中は一時中断したようですが、戦後、西畑和馬らにより復興し、昭和四〇年代以降は青年団による伝承も行なわれました。現在は行なわれない演目もあり、御遷宮神楽、やもめ神楽、宝満神楽、引入柴神楽、八乙女神楽、姫神楽、山人神楽など豊前神楽の起源を知る上で興味深いものがあります。
京築文化財行政連絡協議会ホームページから引用
豊前に伝わる神楽を氏子に伝え「矢幡家」がこの岩清水神社で代々宮司を務めていたのですね。
おわりに
豊前エリアの神社は歴史が古い神社が多く、見どころが多いです。
この雰囲気が伝わればと動画も作ってみました。