豊前市のインターチェンジを降りた辺りから鳥居が見えて目を引く神社がありました。
千束八幡神社です。
ツツジが綺麗な時期に訪れてみました。

神社の周りはツツジが咲き誇っていました。
一体どなたが世話しているのでしょうか。


千と千尋の神隠しのシーンを思い起こさせるようなツツジの咲き方でした。

豊前インターを降りて見える鳥居と石垣。奥に社殿が見えます。

立派な鳥居です。

鳥居から見えたのは神楽殿のようですね。
綺麗に手入れされています。

仲良く並んだ石。
この石にもきっと意味があるのでしょうが…何でしょう。

神楽殿の奥に回ると狛犬。
頭が小さめ?

逆サイドの狛犬はパカっと開いた口がユーモラスです。

屋根の造りにも意味があるのかもしれませんが、歴史の教科書にはそんなことは載っていませんよね。
身近な歴史だからもっと学校で教えてくれてもいいのになー。

千束八幡神社は旭城跡とも言います。
慶応二年八月(一八八六年)、小倉小笠原藩(十五万石)は、長州軍との戦に敗れ、自らの手で小倉城と篠崎藩邸を焼いて逃れた。分家の千束一万石の藩主貞正は、同年十一月、領内安雲の光林寺に入り、明治二年塔田原に館の建設を始め翌三年十月に完成し、ここに移り、旭城と名付けた。現存の城跡石垣は、その当時、千束原古墳の石を使用したものである。明治四年の廃藩置県により、わずか一年ほどの千束藩の館であった。明治十三年、この跡地に千束神社を建立、更に大正五年、塔田の御霊八幡神社と野田の八幡神社を合祀して、千束八幡神社と改称して現在に至流。祭神は八幡大神、仁徳天皇を始め六祭神をお祀りしている。
昭和六十二年三月
豊前市教育委員会
奉納 豊前ロータリークラブ
この神社は元々「旭城」だったと書かれています。
廃藩置県前の最後の藩の城だったようです。
石垣は千束原古墳の石を利用したものとありますが、広く巡らされた石垣を見ると大きな古墳だったのだろうかと想像してしまいますね。
宇島港の造成のために使われたとも耳にしたことがあります。