国東半島を訪れて驚いたのは、寺の中に狛犬や鳥居があったこと。
たしか国東半島の真ん中にある両子寺(ふたごじ)だったと思う。
調べてみたら、神仏習合の形がそのまま残っていたからのようだった。
奈良時代に神社に神宮寺がつくられ,平安時代になると個々の神をそれぞれ仏と結びつける本地垂迹説が現れ,神社に仏像を置いたり,寺に鳥居をたてたりした。 神仏習合は約1000年間行われてきたが,明治初期の神仏分離令によって否定された。
コトバンクから引用
奈良時代に神社の中に寺が作られたり、平安時代には日本に元からいる神様と、外国からやってきた仏様が一緒になった歴史がある。
それで神社に仏像、寺に鳥居があるのは長く当たり前のことであったようだが、明治維新の際の神仏分離令が出てから、多くの神社と寺は分かれてしまった。
分かれてしまったという自然なものではなく、寺に関わるものは破壊を伴う激しいものでもあったそうだ。
以前取材で「明治政府は別に仏像を焼け、破壊しろとまでは言っていないようです。しかし庶民にとって寺は長らく『支配』のイメージがあったのかもしれません」と耳にした。
ただし国東半島〜豊前市など、山深い場所ではかなり神仏習合の形が残っているそうだ。




▲神仏習合が残る富貴寺(動画)