福岡県の神社仏閣

市瀬の鷹見神社を権現山の上宮まで歩いてみた(北九州市八幡西区)

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

本州で生まれ育ち、大人になって移り住んだ北九州。

少し街から離れると、古くから存在する神社仏閣がたくさん存在することが分かった。

八幡西区市瀬にある「鷹見神社」も古くから存在する。

賑やかで交通量が多い道路から山手に入って川沿いを進んで行くと、途端に静かになる。

川の壁面は眺めていると、古い石組が見えた。

求菩提山や朝倉郡東峰村で見たものと同じような石の積み方だった。

鷹見神社とは

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

鷹見神社
御祭神
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまのをのみこと)
事解男命(ことさかをのみこと)

由緒
文武天皇慶雲二年三月小角紀州熊野三山の大神を勧請鷹見大権現を創祀してより遠賀川東西千々村の鎮守として又鷹見高見神社総本社として尊祟厚く奥宮及び十二宮よりなり奥宮は権現山々頂にあり、又上宮十二宮は九合目にありて其下に社僧六坊の住居の跡ありて総称を見光山神昌寺と云ふ。永禄年中花尾城主麻生兵部大夫重兼中門回廊を建立し三千石の神田を寄進す。
更に慶長五年国主黒田長政入国に際して山体一万三千四百坪御供米五俵掃除人夫を三人累代寄進す。天正年中兵火にかかり社殿賽物等記録消失し永禄四年再度大友氏の兵火にかかり元禄年中再興し現在に至る。

鷹見神社石碑より
 
 

由緒書きのなかに「社僧」とある。

奈良時代中・後期以降、神仏混淆の結果、神社に所属して仏事を修した僧。多くは境内の神宮寺・別当寺などに住み、妻帯が許され、その権威は神官をしのぐこともあった。別当・座主(ざす)・院主・検校(けんぎよう)・勾当(こうとう)などの階級があったが、明治維新後の神仏分離令により廃絶。宮僧(くそう)。神僧。

weblio辞書から引用
https://www.weblio.jp/content/%E7%A4%BE%E5%83%A7#:~:text=%E3%81%97%E3%82%83%20%E3%81%9D%E3%81%86%20%EF%BC%BB0%EF%BC%BD%20%E3%80%90%E7%A4%BE,%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2%E4%BB%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E5%BB%83%E7%B5%B6%E3%80%82
 
 

お坊さんが住んだ跡地。
権現山の九合目の下にあったようだ。
案内を見た記憶がある。

以前このブログに登場した八幡西区一宮神社と同様に、キリシタン大名大友氏に焼き討ちされた。

その時に社殿だけでなく史料も失われてしまったようだ。

鷹見神社の写真

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

神社の手前には6〜7台は停められそうな駐車場がある。

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」
北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

神社の中は大きな木が茂っている。

深い緑のトンネルのような空間の石畳や石段を進んで奥の社殿に向かう。

ゴツゴツしていたから、ヒールよりスニーカーのほうが安心だろう。

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

御手洗。

綺麗に整えられていた。

地元の方がよく参拝している様子に見えた。

ずっと地域に大切にされてきた神社なのだと感じた。

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

社殿をよく見ると

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

すごい彫刻だった!

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

屋根の形も特徴的だ。

神社の奥には「鷹見神社奥宮参拝コース」登山口

北九州市八幡西区市瀬「鷹見神社」

鷹見神社の奥から山に登って上宮に行くことができる。

一度登ってたが、登山初心者にはかなりハードだった。

同じ上級者コースであっても、後日登った皿倉山の煌彩の森コースよりもずっときつかった。

鷹見神社奥宮参拝コースとは
鷹見神社から上宮を経由し、奥宮までの約2.5kmの間に11の宮跡があります。昔から信者が参拝のために往来していたコースで、参拝道として有名です。権現山周回コースを横切り山頂に向かって50m程登ったところが上宮、さらに権現山頂に向かって登ると奥宮が鎮座しています。戦前は権現山頂の中程にあったそうですが、山頂を削り取ったときに今の場所に移動したと聞いています。

皿倉山ビジターセンターホームページより引用
http://www.hobashira-aigo.jp/1_hobasira/course_map/takami_jinja.html
 
 
鷹見神社奥宮参拝コース

権現山の山中にある鷹見神社上宮の鳥居

鷹見神社奥宮参拝コース

山頂に近づくと巨石がごろごろ。

鷹見神社奥宮参拝コース
権現山の山頂の看板

権現山(標高六一八メートル)
熊野三所権現を祀る市瀬鷹見神社の奥の院があることから、権現山と呼ばれている。
かつては鷹見山とも呼ばれ、その由緒はむかし役行者が熊野山で三所権現の招請を祈願したとき、神殿から飛びたった多くの鷹が当山に飛来していたので山頂に石祠を祀り鷹見山大権現と号した。また当山の西八合目付近に鷹見神社、社僧の坊?(総称して見光山神昌寺)があったことから坊住山とも呼ばれ、ほかに杉山や矢筈山の呼び名があった。
争乱の南北朝時代には、当自然公園一帯の山々は北朝武家方と南朝宮方の両軍の争奪の場ともされ???年一二六五・???年(一三七二)など両軍による幾たびかの合戦があった。
山頂には祭祀遺構と思われる跡があったが第二次世界大戦中に陸軍の高射砲陣地が構築されたとき削り取られて今はない。

北九州市
直方営林署
帆柱自然公園愛護会

看板より引用
 
 

権現山と英彦山の関係

鷹見神社と同じく大友氏によって焼き討ちされた添田の英彦山。

その英彦山とこの鷹見神社の裏の権現山は「英彦山葛城峯(秋峰)」と言われる修験者の修行ルートだったかもしれない、とネットでその可能性を知った。

権現山の中の道は修験者が使っていた道もあり、山の中の遺跡も修験道のものがあるようだった

明治の廃仏毀釈まで、一般人の身近にあった修験道。

まだ跡が残り、追えるうちに追いたいと思う。

鷹見神社(市瀬)のアクセス

〒806-0063 福岡県北九州市八幡西区大字市瀬70