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岩屋山泉水寺の歴史を残す千手観音堂へ|福岡県豊前市

豊前市千手観音堂

車で千手観音堂へ

豊前ICから求菩提山に向かい、ナビを頼りに千手観音堂へ。

佐井川にかかる橋の手前に広い駐車場がありました。(トイレもあり)

福岡県豊前市・佐井川

駐車場から歩いて橋を渡ります。

福岡県豊前市・千手観音堂

橋から千手観音堂を眺めて。

なだらかな山の麓にお堂が見えます。

福岡県豊前市・千手観音堂

まずはここでお参り。

福岡県豊前市・千手観音堂看板

豊前市教育委員会による木造千手観音像の説明です。

国指定重要文化財(彫刻)
木造千手観音立像
明治五九年四月十四日 指定

その昔、この地にあった岩屋山泉水寺の御本尊がこの千手観音立像といわれています。泉水寺は山岳修験の山として栄えた求菩提六峰の一つ、松尾山の末寺で、堂内には千手観音立像と不動明王坐像、さらにもう一体を併せ三尊が祀られたと言われますが、現存しません。
像は樟材の一本造りで、高さ二一一cmを測り像の干割れを防ぐため、内刳が施されています。
頭部には小さな宝鬟(ほうけい)を結び、天冠台を彫り出していて、切れ長の目に小ぶりの鼻・唇が表現され、張りの強い童顔に仕上げられています。
また合唱手と呼ばれる本手は残されていますが、その下にある印を組む宝鉢手と、脇手は既に失われています。
脇手とは千手観音の特徴である像の背面に表される無数の手で、奈良時代には忠実に千本の手を表現したものが見られますが、平安時代以降には省略され四二臂のものが多いようです。本像は光背風に造られた共彫に五八箇所の脇手の痕跡を見ることができます。
平安時代後期、地方の作としては洗練された秀作と言われます。

豊前市教育委員会
看板より
 
 

お堂には千手観音立像と不動明王坐像のほか、さらにもう一体祀られていたとあります。

福岡県豊前市・千手観音像看板

こちらも豊前市教育委員会による千手観音立像の看板ですが、上と内容が違いますね。

重要文化財
千手観音立像
木造、樟材、一木造、素地、彫眼像高二一一・〇センチ、平安時代
この千手観音は、乳の観音とも呼ばれ、その信仰は今も盛んである。千手観音を詳しくいうと、千手千眼観音、または大悲観音ともいう。一切の衆生の苦しみを救い、また請願成就、そしてさらに、産生平穏をも司るともいう。このことの利益から乳の観音としての信仰がある。像は平安時代後期の秀作として、殊に尊顔の美しさに定評がある。この地方の代表的作例の一つである。もと国宝、現在は重要文化財に指定されている

豊前市教育委員会看板より
 
 

看板を読んだ後は、岩屋山泉水寺の由来と思われる岩窟側に進みます。

福岡県豊前市・千手観音堂

建物の向こう側の岩壁二箇所から水が滴り落ちていました。

写真が撮れなかったので後日動画で撮影しています▼

福岡県豊前市・千手観音堂

岩窟に向かって右側は石仏や五輪塔が立ち並んでいます。

福岡県豊前市・千手観音堂
福岡県豊前市・千手観音堂

福岡県豊前市・千手観音堂

千手観音堂は思いのほか広い場所でした。

とても綺麗に手入れされていました。

お堂周辺も駐車場も。

地域の人たちが大切に守っているようでした。

次回こそお水をいただきに伺いたいですね。

千手観音堂のアクセス

〒828-0073 福岡県豊前市挾間
無料駐車場有

千手観音堂について詳しくは

千手観音堂がある場所は福岡県豊前市挾間です。

豊前市の代表的な川である岩岳川と佐井川が合流してから少し川下のあたりが「狭間」でした。

そこのお堂に安置されている、貴重な像が「千手観音」です。

別名「乳の観音」と呼ばれる「千手観音」とは

国指定重要有形文化財(彫刻) 明治39年4月14日   指定 豊前市大字挟間   千手観音
画像は豊前市公式ホームページから引用

千手観音とは
挾間の観音としてよく知られている仏像で、像高は211.2センチメートルという大きなものです。現在は岩壁を背にする収蔵庫に安置されていますが、かつてはここに岩屋山泉水寺と言うお寺があり、その本尊としてこの千手観音が祀られたと言います。
像は樟材の一木造りで、頭部は小さな宝髻(ほうけい)を結び、天冠台(てんかんだい)を彫り出し、垂髪(たれかみ)は束ねて耳から両肩の天衣にかかるように彫り出されています。顔は張りが強く、切れ長の眼に小振りの鼻、唇が表現され、全体に童顔にまとめられています。また、肩からかかる条帛(じょうはく)、天衣には軽やかな流を見ることが出来ます。
合掌手(がっしょうしゅ)は臂(ひじ)のところからつけられていて、千手観音独特の脇手は扇状の板に半肉彫りに刻まれ、光背風に作られています。
その特徴から古様な仏像で、平安時代後期でも早い時期に作られたものと考えられています。昔、母乳の出が悪い母親がここの水でお粥を炊いて食べたところ、よく出るようになったという伝説が残されていて、別名「乳の観音」とも呼ばれる温かい像です。

豊前市公式ホームページより引用
https://www.city.buzen.lg.jp/kanko/miru/bunkazai/07.html
 
 

豊前市公式ホームページによるとこのお堂はかつて「岩屋山泉水寺」というお寺で、千手観音像は岩屋山泉水寺の本尊だったようです。

「泉水寺」の由来は、お堂の奥にある岩洞窟の岩壁二箇所から湧き出て流れ落ちる水。

像の別名である「乳の観音」は、昔母乳の出が悪かった母親がその水でお粥を炊いたところ、乳の出がよくなった逸話からといいます。

今でも湧水を汲み人が訪れています。

千手観音像は高僧・行基の作とも言われ、国指定の重要文化財(以前は国宝)として指定されています。

常時公開されているのではなく、毎月17日に拝観できるようですね。

千手観音像以外にも貴重な像「木造不動明王座像」

豊前市指定有形文化財(彫刻) 昭和59年11月22日   指定 豊前市大字挟間  木造不動明王座像
画像は豊前市公式ホームページより引用

木造不動明王座像
樟材による像高144センチメートルの座像で、破損摩滅が激しいものの、千手観音立像(重文)と同時期の平安時代の作と考えられています。
求菩提山の末寺の一つである松尾(まつの)山に伝わる『松尾山縁起』(「太宰管内志」松尾山医王寺の項)には、松尾山の末寺十三箇所のうち「第十二岩屋山泉水寺者観音不動」と書かれていて、千手観音とともに祀られていたことがわかります。

豊前市公式ホームページより
https://www.city.buzen.lg.jp/kanko/miru/bunkazai/07.html
 
 

この千手観音堂は千手観音像だけでなく木造不動明王座像も祀られていたようです。

岩屋山泉水寺は求菩提山の末寺(本寺に対して末寺。本寺の傘下にあたるのが末寺)である松尾山医王寺の末寺であったことが、豊前市公式ホームページから見て取れます。

整理すると「求菩提山→松尾山医王寺→岩屋山泉水寺」

岩屋山泉水寺の情報はネットではそれ以上見つかりませんでしたが、松尾山の修験道について記事が見つかったのでリンクを残しておきます。

シティ情報ふくおかナビ「上毛町『松尾山に山伏がいたころ』山伏の末裔たち」
https://www.fukuoka-navi.jp/50416

狭間に伝わる民話

豊前市公式ホームページに豊前の民話が紹介されていて、そのうち千手観音堂の地「狭間」のものがあったのでリンクを掲載しておきます。

挾間の乳の観音(豊前市公式ホームページ) ← クリックするとダウンロードされます(PDF)
挾間の天狗拍子(豊前市公式ホームページ) ← クリックするとダウンロードされます(PDF)

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ぶぜんノート
豊前在住のフォトライターです。豊前市・中津市・宇佐市・豊後高田市及び周辺のおすすめグルメやお土産、スポット、役立ち情報を伝えています。温泉・日本酒・ローカルグルメ・歴史・低山登山が好き。SNSのフォローはお気軽にどうぞ。
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