吉富神社は大分県の県境、福岡県の上毛町にあります。
その神社の由緒書きには平家物語に登場した豊後の武将「緒方三郎惟栄(これよし)」の名前が出ていたので驚きました。
吉富神社の様子
立ち寄ったのは春です。ツツジがとても綺麗な時期でした。

駐車スペースと遊具のスペースの奥に狛犬と社殿が見えます。


笑顔の狛犬たち。愛嬌があります。

道路側の鳥居です。
鳥居の場所は昔から変わっていないのか、横の建物とかなり近い場所に立っていました。
他の場所に鳥居が複数ありました。
看板に書かれていた沿革を読むと、合祀された神社はたくさんあったようですので、合祀される前のもともとの神社の鳥居なのかもしれませんね。
神社の中は手入れがなされ、とても綺麗でした。
上毛町の吉富神社のアクセス
〒871-0901 福岡県築上郡上毛町
吉富神社について詳しくは
沿革

吉富神社沿革
福岡県築上郡成恒六六六六番地鎮座
祭神
天照皇大神 素戔嗚尊
高龗神 闇龗神
大山祇神 豊受毘貴神
武甕槌神 水波能貴神
大己貴神 少彦名神
事代主神 応神天皇
仁徳天皇 菅原道真
社伝
源平の?兵火に罷りしを緒方城主緒方惟栄の一族某 文治三年正月元旦神託により 社殿を開く天正十六年三月 黒田氏の兵火に罷り消失爾来成恒緒方安雲にて祭祀を執行する云々。元成恒若八幡神社へして古来今の吉富神社所在地。此の地方は宇佐神宮の神領であったと伝えられるところにより宇佐八幡を勧請し若宮八幡と称し仁徳天皇を祭ったとしたものである。
合祀明治四十三年十月: 合祀合霊済
若八幡神社 大字成恒村社
三神社 大字尻高村社
貴船神社 大字矢方村社
若八幡神社 大字緒方村社
若八幡神社 大字安曇村社
貴船神社 大字大瀬村社
貴船神社 大字八ッ波村社改修工事 – 昭和五十年十二月 昭和五十三年十月完成
看板から引用
社殿改修·境内整備·参道拡巾 昭和五十五年四月建之
緒方三郎惟栄との関係は
思わぬ場所で見つけた豊後の武将「緒方三郎惟栄」の名前。
緒方三郎惟栄とは
緒方三郎プロジェクトホームページより引用
?-1181~1191-? 平安末期から鎌倉初期にかけての豊後の武将。緒方三郎。生没年未詳。伝説的に著名な 姥岳(うばだけ)( 祖母嶽(そぼだけ))(高千穂とも)大明神の 神裔(しんえい)とされる 大神惟基(おおがこれもと) ( 胝大太(あかがりだいた) 皸大弥太(あかぎれだいやた))5代の孫という。大野郡 緒方荘司 。平 重盛(しげもり)家人。平家の大宰府追い落し、 源範頼(みなもとののりより) 軍の渡海援助等の大功を立てながら、 宇佐宮焼き打ち 、 源 義経(よしつね) 先導で捕えられ沼田荘 配流(はいる)。 赦(ゆる)されて帰国するというが 顛末(てんまつ)未詳。
沿革に書かれていた社伝をもう一度確認します。
源平の?兵火に罷りしを緒方城主緒方惟栄の一族某 文治三年正月元旦神託により 社殿を開く天正十六年三月 黒田氏の兵火に罷り消失爾来成恒緒方安雲にて祭祀を執行する云々。元成恒若八幡神社へして古来今の吉富神社所在地。此の地方は宇佐神宮の神領であったと伝えられるところにより宇佐八幡を勧請し若宮八幡と称し仁徳天皇を祭ったとしたものである。
社伝を箇条書きにすると
- 吉富神社はもともと成恒若八幡神社。さらに遡ると若宮八幡。宇佐神宮の神領だった。宇佐八幡神を迎え、仁徳天皇を祀った。
- 源平合戦で被害を受ける。文治3年(1188年)緒方惟栄の一族の誰かが神託によって社殿を開く。
- 天正16年(1588年)3月黒田氏によって焼かれる。以来、成恒緒方安雲が祭祀を執行。
吉富神社がある上毛町には「緒方」という地区があります。
そこにかつて緒方城が建っていたことと、東九州自動車道の工事で城の跡の一部が取り除かれたという情報を見つけました。
残念ながら城の跡は残っていませんでしたが、地名にちゃんと残っているのですね。
気になったのは文治3年(1188年)に緒方三郎惟栄の一族の誰かが神託によって社殿を開いたこと。
緒方惟栄が宇佐神宮を焼き討ちしたのは1184年。
宇佐神宮の神領であったというこの地で緒方三郎惟栄の一族に神託が降って新しい社殿を開く?
どんな神託であったかは社伝に書かれていないので分かりませんが、宇佐神宮を焼き討ちした後でその人物の一族に神託が降るとは不思議な気がします。
緒方三郎惟栄は平氏を滅亡に追いやった人物のひとりと史実で言われながら、平氏を源氏の手から逃した可能性があるという情報も見つかりました。