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最澄が唐帰りに最初に建てた寺の跡を残す六所神社|福岡県新宮町

福岡県新宮の六所神社

福岡県は最澄や空海ゆかりの寺や山がいくつもあります。

唐に仏教を学びに出る時、九州から出発して戻って来ていたからのようです。

福岡県新宮町にも最澄が唐から日本に帰って初めて作ったというお寺がありました。

そのお寺がもともとあった場所は今は六所神社として残っています。

六所神社とは(由緒や歴史)

福岡県新宮 六所神社 由緒

立花口バス停横に鎮座する産土神です。わが国土は神の産み給いしもので、国土の開発は専らその神の恩恵によると考えた昔の人々は、その開拓地に神を祭り五穀の豊作を祈ったものです。
当社の由来は、筑前風土記等によると、太古伊邪那岐命の禊はらいによるもので、神代の昔から天照大神が御鎮座されたとあります。その後、春日大神、熱田大神、賀茂大神、宇賀大神、貴船大神近くの産土神をあわせ祀り、六所大権現と称し神徳あまねく崇拝され、昔は社殿の祭祀も厳粛であったと言われています。また桓武天皇の時代、伝教大師が唐から帰国し、当初に初めて独鈷寺を創立になり、属坊36院まで繁栄しました。立花道雪は六所権現の崇拝厚く、出陣に際しては戦勝祈願をしたと伝えられています。

新宮町教区委員会
 

平城京の遷都を行った桓武天皇の時代、最澄が唐から帰国して初めて作ったお寺「独鈷寺」を作って、修験道が栄えたようです。

お寺と神社?と不思議なようですが、明治維新以前では日本の山で修験道は盛んでした。

六所権現の「権現」という呼び方も神仏習合の現れです。

九州内の寺社仏閣を焼き討ちしていた豊後の大友宗麟の名臣と「立花道雪」の名前も出てきます。

出陣の際にはこちらの六所権現に千勝祈願をしていたと伝えられているようですね。

福岡県新宮 六所神社  由緒

こちらの由来は神社のもの。(上は教育委員会)

現地に行くと違う時代に書かれた由緒書きがあり、ネットに出ていない情報が見つかることもあります。

六所神社由来
吾が国土は神の生みにし神の子にして国土の開発は尊いその神霊の恩恵によるものと考えた昔の人はその開拓地に産土神を祀った。
天正年間立花城主立花道雪は出陣に際して戦勝祈願所としたと伝えらえるも不詳である。
その後当社は立花道雪逝去後衰え遂に一村の産土神となりしも旧藩主黒田公代々崇敬せられ宝暦八年本殿御造営御寄付の棟書など現存せり。時々その祭典は鄭重に行い新嘗祭の如きは一ヶ月間祭典を執行せり。
社号は本社天照大神の社内に散財したる神々を併せ祀り六所神社とす。明治五年十一月三日村社に定められる。大正十二年四月二十三日字寺浦の無格社六所神社を祭神同一に付き合祀合霊す。
祭神
天照大神 加茂大神 春日大神
宇賀大神 熱田大神 木舟大神
境内祭神
須賀神社(素戔嗚尊)
厳島神社(宗像三神)
乙子神社(水分神)
天神社(少名彦命)
例祭日 捨月捨七日六所神社

由来書より
 

立花道雪が亡くなった後神社は衰退。

その後藩主の黒田公によってまた手厚く保護されたようです。

六所神社を散策

福岡県新宮 六所神社 近くの蕎麦屋さん

3号線から山手に入ってしばらく行くと、途中左手にお蕎麦屋さんが見えてきます。

福岡県新宮 六所神社

その先を少し進むと右手に林が見えてきます。

そこが六所神社です。

さらに少し進んだら8台ぐらい停められそうな駐車場、車はそこに停めました。(公衆トイレもあり)

福岡県新宮 六所神社 鳥居

駐車場は参道の途中に位置していて、駐車場降りたらすぐ社殿の方に行けますが、まずは鳥居の写真から。

六所神社ではなく「六所宮」と書かれていますね。

駐車場を通って階段を登ると

福岡県新宮 六所神社 境内

正面に社殿。

向かって左側に薬師堂、右手には石の祠などが並んでいました。

福岡県新宮 六所神社 狛犬

向かって左側の狛犬。

玉が特徴です。

福岡県新宮 六所神社 狛犬

向かって右側の狛犬。口の中に玉のような物が見えます。

口の中に玉がある狛犬は「出雲型狛犬」という情報をネットで見つけました。

境内祭神の一柱が「少名彦命」だったので、出雲と関わりがあるのかもしれませんね。

福岡県新宮 六所神社 社殿

六所神社は珍しい配置でした。

拝殿と幣殿はこのように平地にあり、この建物の裏側の高い位置に神殿がありました。

約50段の階段を上った小高い山の上に神殿が位置しています。

福岡県新宮 六所神社 階段

シロアリ被害と老朽化のため、建て替えのために取り壊され現在基礎だけになっていました。

福岡県新宮 六所神社

六所神社は昔修験の場とも言われていて、敷地内には薬師堂もありました。

この薬師堂は立花道雪夫人が寄進したと言われています。

福岡県新宮 六所神社 薬師堂

薬師如来尊像由来
西暦八百二年桓武天皇御代延暦二十三年七月遣唐使として法を求め翌二十四年六月帰朝せられた花鶴ヶ濱今の古賀の濱より佛教の霊地を試みんと大師奇瑞に依って一宇の伽藍を此の地に定め大師自ら堂を創立し薬師如来の尊像を彫刻し尚持参の独鈷を以って掘られし井水を独鈷水と稱す天下太平國家安寧萬民豊楽を祈念なされ給ふ霊験あらたなる中央の佛像こそ由緒深き薬師如来であります
昭和三十八年九月吉日?之
天台宗立花山 明鏡院 独鈷寺執事薬師如来尊像

由来書きより
 

西暦802年に最澄が彫った薬師如来像が安置されているようです。

扉は閉じられています。

福岡県新宮 六所神社 土俵

シートの下は土俵でしょうか。

福岡県新宮 六所神社 カゴノキ

敷地内に県の天然記念物に指定されたカゴノキ。

おわりに

福岡県新宮 六所神社 近く

「立花宗茂と誾千代を大河ドラマに」ののぼりです。

道すがら、こののぼりが度々見えました。

「立花道雪の娘夫婦のことを大河ドラマに!」とPR活動が行われているようです。

実現したら、六所神社を知る人が増えそうですね。

六所神社の場所・アクセス

〒811-0102 福岡県糟屋郡新宮町立花口1125

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ぶぜんノート
豊前在住のフォトライターです。豊前市・中津市・宇佐市・豊後高田市及び周辺のおすすめグルメやお土産、スポット、役立ち情報を伝えています。温泉・日本酒・ローカルグルメ・歴史・低山登山が好き。SNSのフォローはお気軽にどうぞ。
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