広い池が御神体という珍しい神社「薦神社」のことは以前からネットやSNSで知っていました。
池は空をリフレクションしてとても綺麗な景色が見えると言います。
楽しみに向かってみました。
大分県中津市の薦神社へ

薦神社は大きな木が沢山茂っています。

森の中を進んでいくと

変わった建物が現れました。
薦神社呉橋。
嘉永3年(1850年)の創建とされ、中津市の登録有形文化財に指定されています。

狛犬はユーモラスな表情。

社殿を横から撮影しました。

お目当ての池の周囲。歩くことができます。
御神木をくぐって池の鳥居を目指します。

ありました。
鳥居の向こうにうっすらと見える山は八面山のようです。
池を拝むのか、その先の八面山を拝むのか。
八面山の頂上には、薦神社の奥院と言われる「箭山神社(ややまじんじゃ) 上宮」があります。
箭山神社下宮、上宮についてはまた別の記事でお伝えします。
薦神社のアクセス
〒871-0153 大分県中津市大字大貞209
http://komojinja.jp/
薦神社とは
ご祭神
薦神社公式サイトから
応神天皇
比売大神(田心比売命・湍津比売命・市杵島比売命)
気長足比売命(神功皇后)
由緒
『八幡宇佐宮御託宣集』によれば養老4年(720)三度目の反乱を起こした日向・大隅の隼人に対し中央政府の征討軍は豊前軍と共に三角池に自生している真薦で造った枕状の八幡神の御験を乗せた神輿を奉じて鎮圧に向かったとされます。
薦神社の内宮である三角池には「豊前の国下毛郡野仲の勝境の林間の宝池は八幡大菩薩修行の際湧き出でし水なり」という伝承があります。
宇佐宮の祢宜 大神諸男は三角池の前にて祈願をした処、池一面に波が湧きかえり雲の中から「我、昔(三角池に自生している)この薦を枕とし百王守護の誓を起こしき。百王守護とは凶賊を降伏すべきなり」とご宣託を頂きます。
そしてこの真薦こそ神の依り代にふさわしいと持ち帰り体を清め自ら御験の制作にあたりました。
薦神社の御祭神は宇佐神宮と同じようですね。
由緒を読むと、古い時代の内容が書かれています。
720年に日向・大隈の隼人が三度目の反乱が起き、中央政府軍は豊前軍と一緒に、現在薦神社の御神体である三角池に池に自生していた真薦で造ったという八幡神の御験を乗せた神輿を奉じて鎮圧に向かったと言われているようです。
祈願をしたのは宇佐神宮の大神諸男とあります。
誰を示すか調べてみたところ、大神田麻呂(おおがのたまろ)のようです。大神比義の孫もしくは末裔とも言われる人物です。
大神比義については宇佐市公式ホームページにも説明があります。
八幡縁起絵巻に描かれた八幡大神の示現と大神比義命大神比義命は八幡大神を初めて顕現(注1した人物で、奈良の三輪明神を祀る大神神社の社家の生まれとされる。
宇佐市公式ホームページから引用
奈良の大和大神(おおみわ)神社の社家の生まれである比義が、八幡神を初めて現したと書かれていますね。
その大神比義命の御霊が、明治時代に宇佐神宮下宮の一之御殿に八幡大神と共に祀られたとも宇佐市公式ホームページで伝えられていました。
大神比義は宇佐神宮や八幡神にとって大変重要な役割を果たしていたことが分かります。