古事記に記された神籬磐境を残す一宮神社|北九州市八幡西区

一宮神社 _ 北九州市八幡西区、古事記に記された神籬磐境(ひもろぎいわさか)が現存

古代祭祀の跡を残す神社と言えば宗像大社が思い浮かびます。

宗像大社 辺津宮 高宮祭場

古代祭祀とは自然崇拝と祖先崇拝の二つの要素を併せ持つ、日本の神道の原型と言われています。

その神道の原型の一つである神籬磐境の跡が北九州市にもありました。

一宮神社の様子

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

神社周辺は住宅街ですが、道路との境界のような鳥居をくぐると別世界のようです。

桜の名所として有名な皇后崎公園の一部であり、自然が多く残っています。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

王子神社の神額です。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

鳥居に向かって左側を向くと神籬磐境があります。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

古代斎場(神籬磐境)

神籬(ひもろぎ)
神代の時代、神霊の依代として正常な土地をい選常盤木を立て神座となしたもの。

磐境(いわさか)
神を祀るため盤石をもって築きめぐらした場所。

この磐境は古事記によれば神武天皇御東征のみぎり、豊前の国宇佐より筑前の国のこの地にご滞在された旧跡と云われています。
天皇が御滞在中、磐境を設け天神地祇を招き御親祭された神座神処です。
昭和二十八年、十二月、伊勢神宮御造営局長神社建築史の大家、國學院大學教授角南隆博士が参拝され、「この形式の遺跡は全国でも極めて数少ないもので考古学的にも貴重な資料である。」と言われ、当社がいかに古代からの社であるかを物語るものであります。

奉納 株式会社 荒木工作所
令和二年六月吉日

看板から引用
 

まだ新しい看板です。

この磐境は「神武天皇御東征のみぎり、豊前の国宇佐より筑前の国のこの地にご滞在された旧跡」と書かれています。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

この神籬磐境は、昭和60年代に復元されたとの情報もありました。

完全に復元なのか、一部なのか、詳しい情報は今のところ見つけることができていません。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

参道に戻り階段を昇ると境内社の場所に。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

古そうな祠や石碑も並びます。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

その先には社殿と社務所があります。

古事記に記された神籬磐境の跡。一宮神社|北九州市八幡西区

最後の写真は最初の鳥居付近の楠。

大きくて個性的な形の根っこの部分に弁財天と書かれた石が祀られていました。

一宮神社のアクセス

〒806-0030 福岡県北九州市八幡西区12
https://www.instagram.com/ichinomiya_jinja/

駐車場は天ぷらのふそう山寺店側から入ることができます。

神籬磐境の跡が残る一宮神社

一宮神社由緒
この地方の氏神王子神社、大歳神社、諏訪神社の三社を昭和二十五年六月吉日に合祀し、社号を一宮神社と称(?)します。
王子神社は神武天皇が日向国より東征?上、筑前のところにおいでになり、一年間や役務?みられた宮居の地で境内には、古代斎場等、考古学的にも貴重な跡があります。
大歳神社は三代実録や続風土記にも表れている古くて且、由緒深い神社でもあります。
諏訪神社は花尾城主麻生氏が信州の諏訪神社を御手洗池のほとりに分祀し、厚く祀られた址社であります。

一、祭神
天忍穂耳命 神武天皇 (元 王子社)
大歳神 事代主命 (元 大歳神社)
建御名方神 仲哀天皇
神功皇后 応神天皇 (元 諏訪社)

一、祭礼
一月一日 元旦祭
四月十七日 春季大祭
六月二十五日 道祖神祭
七月二十一日 祗園祭
七月三十日 夏越祭
十月十七日 秋季大祭
十一月十五日 七五三祭

看板から引用
 

(字が掠れて読み取れない箇所もありました)

由緒によると、一宮神社はもともとこの地の氏神であった王子神社に大歳神社と諏訪神社が合祀されて名前が変わったようです。

豊前在住のフォトライターです。豊前市・中津市・宇佐市・豊後高田市及び周辺のおすすめグルメやお土産、スポット、役立ち情報を伝えています。インスタグラムでは主に動画を発信。フォローはお気軽にどうぞ。




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